上尾宿→桶川宿 3.7km(六/六十九)

高崎線北上尾駅を出発して、しばらくはとりたてて見るものもないのですが、桶川駅に近づくと、出た出た。楽しみにしていた歴史的建造物の数々。

国の有形文化財に指定されている武村旅館は、今はこの建物に泊まることができないというのが残念ですが、往時を思い起こすには十分。

穀物問屋だったという矢部家は改修中?のようで残念でしたが、屋根の立派さが圧巻です。旅籠だったという小林家は、その後材木商が店舗として使っていたそうで、その名残も見られます。現在は素敵なカフェ。

ここは江戸を朝発つとちょうど10里(約40㎞)ほどということで、隣の上尾とともに宿泊の地としてにぎわったそうです。昔の人は、1日に40kmも歩いたんですね。とてもまねできません。加賀前田のお殿様など、要人もここの府川本陣を定宿としていたそうです。

その府川本陣は一部が残っていて、現在もお住まいの主さんのご好意で、週に1度ほど見学もできるそうです。残念ながら時間外でした。なんと、第14代将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮が、その道中に宿泊した「上段の間」も残っているそう。床の間には、緊急時に外部に脱出できる非常口があったとか。一行がここに到着した頃、その最後尾はまだ熊谷宿(約24km先)だったというから、どれだけの行列だったかが想像できます。(引用:中山道商店会HP)

稲荷神社にある2つの石灯籠は、かつてこの地で栽培が盛んだったという、「桶川臙脂(えんじ)」の染料、紅花の商人たちが寄贈したそう。境内にある「力石」は、重さが日本一という610㎏。地元出身の江戸の力持ち、三ノ宮卯之助が持ち上げたといいます。

大雲寺には面白い伝承があります。ある飯盛女(宿場に立ち寄る人をお客とした女郎さん)のところに、ここの若い僧が通いつめているという告発を聞いた住職が、お地蔵さんの背中にかすがいを打ち、鎖で縛って、実は通っていたのはお地蔵さんだったということにして一件落着を図ったといいます。もちろん若僧はちゃんと叱られたでしょうが、罪をかぶってくれたお地蔵さんの背中には今もかすがいが残っています。小柄なお地蔵さんが気の毒でもありますが、、やさしいお顔をしているので、笑って許してくれたのでしょう。

面白さ満載の桶川宿はこのへんで。そうそう。このあたりはうどんをよく食べるそうで、たしかにうどん屋さんが多くありました。