鴻巣宿→熊谷宿 (八/六十九) 日本橋から64.4㎞(行程16.4㎞)

恐怖の熊谷の夏を避け、久々の出発。アプローチの電車はもう、片道1時間半、料金1000円近くなりました。

箕田地区から街道をたどります。

埼玉には古墳が多いですね。道沿いの庚申塔も、素朴でほほえましい姿です。

前砂の板碑群。秩父青石でのこうした碑が、たくさん発掘されるそうです。一説には、明治の廃仏で埋められたとか。

このあたりはじぐざぐしていますが、道標がしっかりしていて迷うことはありません。

鴻巣から熊谷まで距離があるため、「間の宿」として、宿泊機能のない休み処の吹上宿がおかれました。榎戸地区には、かなり古い樋管がみられます。

荊原権八地蔵は、強盗が見ていたお地蔵さまに口止めしたとの話があります。なんとゆゆしきこと。ここから、久下の長土手を進みます。後北条氏が築いたという荒川の堤。広い河原には、とうに廃村になったという「幻の村新川」がありました。かつて人々が養蚕を営んだとのことで、桑の木があちこちにありました。

元荒川のムサシトミヨの生息地は、息を飲むような清流でした。いつまでもこの清流が守られますよう。

お昼はつるつるの熊谷うどん。駅そばの軍配形の瓦せんべいの老舗、中家堂さんの裏には、空襲の跡の残る石塔楼が残されています。終戦の前日の熊谷空襲で多くの建造物が失われたというのは、本当に残念です。

八木橋百貨店は旧中山道の上に建ってしまったので、中山道はその中を通っています。なかなか粋な計らい。無事に長い道のりを歩ききりました。