南アルプス 北岳~間ノ岳
次の週末はどこの山に出かけようか。そんなことばかり考えていた社会人ほやほやの頃。時間もお金も、ほぼそこにつぎ込んでいましたが、やがてそれが半分仕事になると、少しずつ熱量が遠のいていったのは自分でも不思議でした。
そのころから単独行が好きでした。混んだ山は嫌いでした。
天気予報とにらめっこをして、よし、明後日から梅雨が明けると確信した私は、「すみません。明日からしばらく会社休みます」と断言。当時、青二才の冒険はけっこう周囲に面白半分に許してもらっていました(無理やり認めさせてたのかも)。
バイクにザックを積んでとことこと出かけ、途中山の先輩夫妻の家に泊めてもらって。携帯電話などなかった当時、大幅に到着が遅れて心配させ、警察に事故がなかったか問い合わせされ、焦ったものです。
先輩宅を夜中に出てその日には3000mの山小屋に泊まるという強行軍に、さすがに高山病を自覚しながらも、夢のようなお花畑に、天国とはこういうところかとうっとりしたものです。
梅雨明けどんぴしゃの平日とあって、小屋にはそこそこ人がいても山中に出会う人はまばら。ひと晩泊まって足取りも軽く歩く稜線で、耳の不自由な単独行の青年と出会い、身振り手振りで話しました。はるか断崖絶壁をへっちゃらで横切るカモシカにも、生まれたばかりのヒヨコを連れて歩くライチョウのお母さんにも会いました。
今回はその半分のコースの折り返し。当時はあった下山路が今はすでに使えず、直前の土砂崩れによる登山バスの不通、雨続きで沢の増水の不安等々で、当初予定していた縦走をあきらめました。
あれから数十年がたち、子育ても終え、泊めていただいた先輩の、ご主人のほうは残念ながら若くして亡くなりました。出発前に地図を覗き込んでうらやましそうにしてたのが思い出されます。あの頃人の2日分のコースタイムを余裕で1日で歩いた体力はすでにありませんが。当時の自分に会ってみたい、会えるわけないかな、と思いながらも、会えた気がします。
一人で歩いたその時の思い、青年とすれ違った場所を、なんとなく覚えていました。自分のような、単独行の若い女性にも会いました。そして思ったのは、「私、あの頃と何も変わってない」。何も成長していないのか、当時すでに成長していたのかは不明ですが。けっこうな大発見でした。
すれ違う人に「この先けっこうライチョウがいますよ」とささやかれるも会えず、カモシカにも会えず。だけど、草すべりで大きな猿を見ました。こんなところに猿がいるとは思っていなかった私は、四つ足の姿のそれを、最初クマと認識。それほど大きかったのです。かつてとは比べ物にならない、昨今のクマと人との接近に、一応神経を尖らせていたのです。そいつがこちらをじっと見ているのを「やばっ」と思い、あとはクマの気分次第、向かってくるか逃げるか。向かってきたらひとたまりもない。向かってこなくても、やっと登ったこの急坂をまた下りなくちゃならないのかあ、などいろいろ考えているうちに、そいつが手を伸ばしてお花畑の何かを摘んだしぐさで猿と気づいたのですが。あの時の自分の落ち着きに、一応合格点を授けたい。ホイッスルを吹いたら逃げていきました。4頭もいました。
にしても、そんな「摘む」やつらがいるせいか、かつて私が頭痛に悩まされながらもうっとりとした草すべりのお花畑は、だいぶ衰退していました。
高山に来るといつも思いますが、こちらが飛ばされそうな荒天の中でも、はかなげな高山植物は、引きちぎられもせず、けなげに風雨を受けています。なんとも愛おしい姿。
日本というのは奥深いですねえ。
今回、お天気とバス不通のために当初予約していた大門沢小屋、農鳥小屋をキャンセルしましたが、その電話をしたときの小屋管さんのがっかりぶりに胸が痛み、勝手にリベンジを誓っています。鍛えねば。