本庄宿→新町宿(十一/六十九) 日本橋から97km(行程8km)
高崎線の神保原駅付近からスタート。
ここには、金窪城という城がありました。1582年、本能寺の変で討たれた織田信長の弔いとして、北条氏と戦った「神流川合戦」で、滝川一益により落城しました。このあたりには歴史を物語る石碑や、庚申塔なども多く、それらが大切にされているように感じられます。
さて、河原の天然石を良質の砂利や砂にしているという、まるでジブリに出てきそうな工場を右手に見て、神流川を渡っていきます。板橋宿から蕨宿へ、荒川を渡って以来の県境越え。埼玉県の、なんと広かったことでしょう。正面には浅間山が噴煙を上げています。赤城おろしが吹く日はとってもつらいという真冬の中山道、ありがたいことに春のようにのどかな日でした。河原はキツネの毛のような色。渡り切ると上野(こうづけ)の国、群馬県。山が近くなってきました。
渡った先にはでーんとお城? ラスクで知られる「ガトーフェスタハラダ」。ここから遠く離れたわが街にもあり、人気を博しているお店の本社が、こんなところにあるとは思いもしませんでした。しばし見学&買い物へ。
この巨大な「お城」の裏には、神流川合戦の古戦場跡の石碑がありました。4000人もがこの河原で討ち死にしたそうです。
旧中山道が国道17号から再び離れるところには、見通し灯篭が。その昔、迷う人が多かったこの辺り。旅人からも寄付を募って常夜灯をつくったとのこと。今となっては、「迷いやすい」闇さえも、想像が難しい。
何も残っていない高札場(おふれなどを出すところ)跡を過ぎると、明治天皇が北陸・東海を巡行した道中に宿泊したという行在所(あんざいしょ)が保存されていました。当時はたいへんな騒ぎだったでしょうねえ。やがて烏川の土手上の自転車道を歩くことになります。このあたりは旧中山道の道筋がはっきりしません。船の渡しで川を渡ったせいでは? と想像しながら、今日はここまで。