Pedrouzo→Santiogo de Composutera 20.1km あと0km
いよいよゴールの日。これまで病気もけがもせず、予定通り進んできたことは、神様か、お天道さまか、何かに感謝するしかありません。大きな天候の崩れにも遭わず、出発当初ひょこひょこと歩くしかないほどだった膝の痛みもいつしかなくなりました。
いつもは夜明け頃出発しますが、この日は1時間早く出発しました。まだ皆夢の中。なぜかというと、11時までにサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で巡礼証明書をいただくと、その夜のミサで国別の到達者の人数が読み上げられるという噂を聞いたから。
新調したものの使う場面がなく、「持ってこなくてもよかったものリスト」に入れられていたヘッドランプが本領を発揮します。手探りするような闇の中、絶対精霊がすんでいる森を進みます。頭をきょろきょろ動かして光の中にモホン(道標)を探しながら進みます。これを見失ったらえらいことです。
やがて夜明けは森の向こうからゆっくりとやってきました。「あと10km」というモホンを過ぎても、高いユーカリの林下や、オレオの建つのどかな農村風景の中を歩きます。
Lavacollaの流れでは、巡礼者たちがサンティアゴを前に最後に身を清めたと言われています。
いよいよMonte do Gozoゴソの丘です。「歓喜の丘」とも呼ばれます。はるか遠くにサンティアゴ・デ・コンポステーラの街と、大聖堂の尖塔が見られます。長い巡礼をしてきた人たちは、この光景を、どれほどの歓喜をもって眺めたことでしょう。昔も今も。この丘をサンティアゴに向かって下りるその途中には、巨大団地のようなアルベルゲもありました。
どんどん都会の様相を増していく道を行き、旧市街に入ってまた時代をさまよい、たどり着いた大聖堂の前のオブラドイロ広場。人々が歓喜して抱き合い、涙を流し、写真撮影をし、互いの健闘を讃え合います。道々で一緒になった巡礼仲間にもたくさん会いました。何日も一緒にいながら、初めて名前を知った人もいます。それぞれの思いいっぱいのハグをしました。そして皆、暖かな石畳に体を預け、目を閉じてここまでの日々をいつまでも感じています。
大聖堂の内部の列に並び、聖ヤコブの背中をそっと抱きます。ここまで導いてくれて、ありがとう。かけがえのない経験をさせてくれてありがとう。
その夜のミサで、ハポネスの巡礼到達者数が読み上げられたかどうかは聞き取れませんでしたが、どっちでもよかったかな。
夜、大聖堂の夜景を撮影しようと思って外に出たら、なにやら人だかりと音楽が。バグパイプのようなガイタという伝統楽器を弾き、歌う集団がいました。ケルト文化の名残の伝統楽器です。周りを取り囲む観光客や巡礼者のなかには頬を上気させて腰をくねらせ、両手を上げて踊っている人もいます。少しだけ悲しげな調べと見下ろす銀の大聖堂。誰もが幸せな夜でした。